SolitOUD

7コース13弦ウード&カマンチェと過ごす穏やかな日常

無口な教師 カマンチェ (2)-2

 カマンチェ先生から教わったことを書いてみるシリーズ第2回目「脱力について」の続きです。(前回の記事の記事はこちら

 今回は無意識にかけてしまっている無駄な力にまず気付くこと、そしてなぜそんなに力を入れてしまうのか、どうしていけば良いのかをまとめました。

 

日常動作における無駄な力

 力感のゼロポイント、つまり「過剰な力が入っている=筋肉がこわばっている感じ」を自覚することなくバランスの取れた状態でいること。これを様々な日常動作を行うときに念頭においてみると、色々思うことがありました。

 例えば濡れた手をハンカチで拭く時、ぎゅうぎゅうと強い力を込めてはいませんか。歯ブラシで歯を磨く時、腕全体がこわばるほど歯ブラシを握りしめてはいませんか。何かをしている時に「本当にこれだけの力は必要かな」と見直してみると、あれもこれも無駄な力を入れ過ぎていることばかりだと気付きました。

 本当に必要十分な力だけで過ごそうとしてみると、この世界は本来はもっとずっと軽やかにやっていけるものなのかもしれない、なんて思えてしまうのです。

 

無駄な力が入る理由

 どうしてそんなに強すぎる力を無意識にかけてしまうのでしょう。その理由は、今している動作に集中していないからです。頭で他のことを考えていると、どうしても過分な強い力を入れてしまいます。注意深く自他を観察しましたが、これはどうやら100%そうなってしまうようです。(皆さんはいかがでしょう?)

 推測ですが、体がある動作をしている時に頭が別のことでビジー状態の場合、体が頭からのフィードバックが欲しいのに得られないため、念のため力を余計に加えておこうとするのではないでしょうか。

 あまりにボンヤリしていると物を掴みそこねて落としてしまったりしますが、そうなることを防ごうと体の方が自己判断で強い力をかけるように思えてなりません。今している動作にきちんと向き合っていれば、「これをこなすにはこの力だけで十分」とちゃんと気が付き、軽やかに済ますことができるのです。

 

 そして余計な加圧に拍車をかけるのは、精神的なストレスのように思います。私は集合住宅に住んでいますので、近隣の方が掃除機をかける音なども聞こえてきます。時にかなり強い勢いで「ガガガガー!ガガガガー!」とまるでデッキブラシでタイルを磨くかのようなかけ方をしていることがあります。

 掃除機がけはホコリを吸い取って綺麗にすることが目的で、掃除機をかける動作自体が目的ではありません。けれどそれが目的になってしまっているかのようなケースでは、そこに精神的なストレス(心身の余裕の無さ)を感じます。「やることが山積みで」「思うように進まなくて」「なんで私ばかりが」…。その不満感、ストレスをそのままぶつけているように思えてなりません。

 そのようにしたくなる時もあることはよくわかりますが、だからといって力任せに掃除機をかけるのは自分自身が損するばかりです。効率はかえって下がり、より多くの無駄な疲労を溜めてしまいます。本来そんなに大きな苦労、疲労は被らずに済ませられたはずなのに…。

 しかしストレスと強すぎる力の関係は、楽器練習の時にも言える大きなヒントではないでしょうか。

 

力を削ぎ落とすクセを日常動作からつけてしまおう

 掃除機の例と同じように、弦楽器の押弦、また弾弦やボウイングも力では決して最良の結果は得られません。それはわかっているけれど、練習となるとつい力が入っちゃう、というのが現実だと思います。では、練習で力んでしまう時とはどんな状態の時でしょうか。

 「何度やってもうまくいかなくて」「どうにもコツがわからなくて」「思い通りに弾けなくて」「ええい今度こそ!」…。掃除機の例と同様、不満感やストレス、余裕の無さがそこにある時だと思います。(楽器練習はフラストレーションの連続ですから…。)こんな精神状態の時につい力をぶつけてしまう悪いクセを、日常動作の全てを見直しながら、どんな時でも軽やかにこなしてしまう良いクセに転換してしまいませんか。

 手を洗う時、道具を使う時、何かをする時にその都度「その力のかけ方は、本当に効果的かな?」と自己チェックしてみてください。無関係な考え事をしてしまっていることに気付いたら、「今加えていた力は強すぎではないかな」と確かめてみて下さい。もっと軽い力で事足りるはずだったと思えば、それをしっかりと認識して改めていきましょう。

 この練習には、忙しくて楽器のための時間が取れない時にも焦らずにいられるというおまけまでついてきます。他のことをしながら「早く弾きたいのに〜」とヤキモキしていれば、それこそ無駄な労力を増やすばかり。

 それよりも今していることにしっかり向き合って、不要な強い力をかけないようにクセづけていく方が、それが結果的に楽器演奏時にも活きていくのです。これは考えようによっては日常生活の全ての時間を使って楽器練習をしているということもできるでしょう。何が本当に合理的でお得なことか、冷静に観ていきましょう。

 

精神的な余裕のために

 なかなかうまく弾けないことに対する焦り(精神的な余裕の無さ)に対しては、「それで大丈夫、正しい姿だよ」「慌てる必要はないよ」と自身に言い聞かせていきましょう。だってそもそもが楽器演奏は大変難しいものです。様々な要素の高度な連携を要する、脳疲労のとても激しいタスクです。

 それに成果を上げるには、美味しい果実が実を結ぶには、時間経過が必要でもあります。途中段階では結果が全く見えないのは当然のことです。日々の練習は地味でしんどい雑草取りをしているようなもの。淡々と努力を続けていれば、ある時ふくらんだ蕾を発見するように小さなコツに気が付いたり、さらなる継続でそれが花開いていく様を体験する時が必ず来ます。なかなかできなくて、という経験もそのためには必要な期間なのです。

 

 さて、だいぶ長くなりましたのでまた次回にしたいと思います。無駄な力がつい入ってしまう時の理由、「集中していないから」「うまくいかないストレスをぶつけようとしているから」。そして「力を加えることでは何も解決せず、むしろ悪化させるだけであること」「慌てず冷静にいること」、これを日常の様々な動作を通して意識にインプットしていきましょう。